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No.52
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※ソーンズと同棲している前提です。海を知らない女の子とソーンズの話。
鉛色の空。岩ばかりが目立つ海岸。湿ってねっとりとした海風が、私の頬を撫でる。心地良くはないその感触に、私は思わず眉を顰めた。
私はどうして、こんなところにいるんだろう?
眼前の光景は、見たことがない場所だ。
私は海を見たことがある。行ったことがある。でも、記憶の中の風景と、目の前の風景は一致していない。
何もわからないまま、ごつごつとした岩を渡っていく。
しばらく進んでいくと、見慣れた人物の背中を見つけた。
「ソーンズ」
名前を呼んだが、彼は私に気づいていないようだ。今すぐに駆け寄りたかったが、足場の悪さがそれを許さない。一歩ずつ、彼に近づいていく。
彼のところまであと少し。そう思ったときだった。
海岸線を眺めていた彼が、一歩足を踏み出した。──波の向こう側に向かって。
驚いてる暇はなかった。一歩踏み出したあと、彼は躊躇いもなく海へと歩みを進めていた。
誰よりも愛しい人が、海に入っていく。
私は必死に「行かないで」と叫んだけれども、彼にはちっとも聞こえていないようで、こちらには見向きもしない。彼が少しずつ海に身体を沈めていくのを、ただ見ていることしかできない。
「ソーンズ、やだ、行かないで!」
やっとのことで彼の元に辿り着く。それでも彼は私に気づいていない。私を無視しているのだろうか。それならば、と手を伸ばす。
そうしてようやく私は気づいた。
私の手が、透けていることに。
伸ばした手は、彼に触れることなく、すり抜けていった。
*
私は目を覚ました。勢いよく起き上がる。バクバクと、大きく速く脈打つ心臓が、先ほどの悪夢を物語っていた。
私は隣で眠るソーンズの姿を確認した。彼が隣にいることに安堵する。それから、恐る恐る彼の身体に手を伸ばす。きちんと触れられた。彼の身体の温かさと、感触を確かに感じる。
私は大きく息を吐き出した。
安堵した身体から力が抜ける。
「{NAME0}」
不意に名前を呼ばれて、思わず飛び上がりそうになった。
「ごめん、起こしちゃった」
「気にしなくていい。それよりも」
ソーンズが起き上がって、私に向き直る。それから、私の手をきゅっと、包むように握った。彼の手の温もりが、いつもより温かく感じる。
「手先が冷え切っている。さっきの行動といい、何かあったか?」
「……ちょっと変な夢を見ただけだよ。大丈夫」
「本当か? 手が震えているぞ」
「え、うそ」
ソーンズに言われて、慌てて私は自分の手を見やった。ソーンズの大きなにそっと包まれて、安心感を得られてはいるものの、ソーンズの言うとおり、私の手はわずかに震えを見せていた。
「よければ、話を聞くが」
「でも、夜中だよ。明日に響くし、寝た方が」
「この状態でまた眠れるのか? 俺のことは気にしなくていい」
「……じゃあ、聞いてくれる?」
「ああ」
半ばソーンズに押される形で、私は頷いた。
自分が見た夢の内容をソーンズに伝える。
ソーンズが海に入ってしまう様子を。それを止められなかった私のことを。
「どうしてこんな夢を見たのかも、海にいたのかもわからない。見た場所も、私の知ってる極東の海じゃなかった。行ったこともない場所なのに、どうして夢に見るんだろう」
ソーンズは、黙って私を見つめている。少しだけ、私の手を握る力が、強まった気がした。
「……それとね。ソーンズは、迷ってなかった。それが正しいと思って、進んでいっているように見えて……だから、すごく嫌だった」
夢の中で私は実体がなかったから当然ではあるが、ソーンズは陸を振り向きもせずに海に向かっていった。一切の迷いもなく。
「ソーンズは、そんなことしないよね?」
私は真っ直ぐにソーンズを見つめた。
「私とずっと一緒に、いてくれるよね?」
私が見たものは夢に過ぎない。本当にソーンズがそんなことをするなんて思っていない。それなのに、私はソーンズにこんなことを尋ねてしまっていた。
……違う。私は心のどこかで、ソーンズならそうするかもしれないと、思ってしまっているのだ。だから、ソーンズに、否定をしてほしかった。「俺はそんなことはしない」「{NAME0}と一緒にいる」と、そう答えてほしかった。
「……{NAME0}」
ソーンズは、それ以上は何も言わなかった。ただ、私を引き寄せて、手を頬に伸ばして、それから、キスをしてくれた。触れるだけのキス。何度も、角度を変えて。お互いの存在を確かめるように。
……それが、彼の答えなんだろう。
「ソーンズ」
私が話そうとする前に、ソーンズは指で私の唇に触れた。
「……寝よう。{NAME0}が眠りにつけるまで、抱きしめていてやるから」
ソーンズの大きな手が、私の頭を撫でた。
*
{NAME0}は再び眠りについたようだった。安らかな寝顔が、今度は悪夢ではなく、穏やかな眠りにつけたことを示している。
ソーンズは{NAME0}の頬を撫でた。起こさないようにそっと、優しげな手つきをしている一方で、ソーンズの表情は重く険しいものだった。
ソーンズは、{NAME0}が見た夢の話を、否定できなかった。
{NAME0}が何を求めていたのかは理解していた。その上で、ソーンズは{NAME0}が望む言葉を与えることはできなかった。
{NAME0}は海の脅威を、実際に見たことはない。それどころか、海の脅威の存在すら知らなかったはずだ。だからこそ、海に入っていくことを、恐怖よりも不思議と捉えたのだろう。
だが、ソーンズは違う。{NAME0}の話が意味するものを、理解できる。それが、現実に起こりうることをわかっている。
もし、アレが自分たちを追ってきたとして。自分は、今のままで、アレを殺すことができるのだろうか? アレを殺すのに、もっと別の方法を取らなければならないとしたら?
最悪の可能性はいつだって付き纏っている。
『絶対に』など、ソーンズは約束できない。
「……お前は、そうならないように生きてくれ」
もし、そんな未来があったとしても。
せめて、{NAME0}は、そのままの姿で生きてほしい。
{NAME0}の額に軽くキスを落とし、ソーンズも瞼を閉じた。
20230615
#ソーンズ #固定夢主
#2023